幻の4連休

2004年11月22日 日常
ホントは、月曜日お休みをとって4連休にして大阪ドームに居座るつもりだった。
TOSHIBA VS TOYOTA を楽しみにしていた。
YAMAHA の試合が見たかった。

すべては、19日(金)の19:30頃、狂った。
その日、何もトラブルがなければ、4連休の予定だった。
9:00から10時間強、トラブルもなく思い通りに進んでいた。
その日最後のお仕事、18:00からの予定だったデザイナーさんとの打ち合わせが、1時間ほど遅れ、19:00過ぎに始まった。
新製品の発売に向けて、私の方から無理なスケジュールをお願いしているお仕事。
打ち合わせも順調に終わり、最後に一言。

「で、この直しは、いつ頃持ってきてもらえますか?」
「月曜日の昼イチでお持ちします!」

ぎゃ〜ん!!
「休み明けで水曜」くらいの返事を期待して聞いたのだが、まさか、そんなに早く持ってきてもらえるとは。
ありがたいんだけど、、、
土日休んでくださいよ。身体もちませんよ。
なんて言葉が頭の中を駆け巡りながら、出てきた言葉は

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

というわけで、私の4連休は消えていきました。

DOSHISHA?

2004年11月21日 社会人野球
第31回社会人野球日本選手権大会 第2日

第2試合
三菱重工名古屋 300 002 000|5
ニチダイ      000 001 002|3
P(名)白倉−森田
 (ニ)高尾−松本

1回表・三菱重工名古屋は、先頭の藪花新也選手が2ベースヒットで出塁、犠打と三振で2死3塁となった後、怒涛の4連打で3点先制。

延長15回、4時間半ゲームの後、この攻撃。
今日中に3試合消化できるんか??ムードで、第2試合は幕を開けた。

所用により、6回表の三菱重工名古屋の攻撃まで観戦、5‐0になったところでドームを後にしたのだが、試合中非常に気になることがあった。
耳について離れない宿敵の応援パターンが、3塁側から響いている気がしてならなかったのだが。
しかし、同志社は新薬の応援団もしていたはず。
その新薬を倒して出場を決めたニチダイの応援もするのか??
ニチダイの応援=同志社の事実を確かめたわけではないので何とも言えないが、、、
それってどうなん?
仕方ないんかなぁ。何となく腑に落ちない。

そういえば、2年前、梅田のゲームセンターで遊んでいた時、チアをやっていた友達の携帯が鳴った。
電話を切った彼女は、
「今ね、大阪ドームである社会人の野球の大会のチア頼まれたんやけど、別の予定が入っとったけん断った。」
と言っていた。
ゲームセンターで断られるなんて(笑)そんなもんなんかなぁ。
第31回社会人野球日本選手権大会 第1日

第3試合
デュプロ  030 010 000|4
東海理化 000 010 000|1
P(デ)米澤−矢田−松本
 (東)川脇

両チーム6安打ずつ、試合時間2時間30分という非常に社会人野球らしからぬ?スピーディーな試合だった。

2回表、デュプロは2死から四球、レフト前ヒットで走者をため、8番打者・松永健二選手の1発で3点を先制。
5回にも、四球で出した走者を犠打、内野安打で進め、安田聖寛選手のレフト前ヒットで、1点追加。

デュプロは、川脇輝生投手に5度の三者凡退を喫しながらも、四球で得たチャンスをものにし、得点に結びつけた。
一方東海理化は、走者を出すものの「あと1本」に欠き、6回、7回、8回と得点圏に進めた走者を還すことができなかった。

東海理化に唯一の得点が入った5回ウラのこと。
先頭の林真輝選手は、カウント2-1からの5球目、右中間方向へ打球を飛ばし、ヘルメットを飛ばしながら1塁へ。
打球の処理の様子からも、そこで止まるかなと思い見ていたのだが、彼は躊躇しなかった。
そのまま1塁ベースを蹴り、2塁へ。
タイミング的には、無茶だろうと思うようなガムシャラな走塁。
執念の2ベースが、得点に結びついた。
彼のこの大会にかける想いが伝わってきて、胸が熱くなった瞬間だった。

ハナキン

2004年11月19日 日常
昨日は、新幹線の中で駅弁を食べながら帰ってきました。
予定より遅くなって、黒皮の手帖見れなかった・・・と凹みながら帰宅すると、『弟』やってるやん!
ちょっと得した気分になり、そのままお休みモード。
朝起きて、駅弁食べる意味なかったんじゃないか?と反省しながら出社。
でも、駅弁って何だかワクワクするんです。

今日も、さっき帰宅。
あぁ、怒涛の1週間が終了。

でも、これからがメインディッシュ☆
夜行で大阪ドーム行ってきます。

仕事も来月中旬までご多忙、野球も今月で終了。
動いてる時はいいけれど、この忙殺の日々が終わったら、倒れそうでコワイです。
今度も、寝こみ年末年始になりそうなイヤな予感。
 ・・・今年のお正月は、実家へ帰って謎の腸炎にかかり、1月3日に知り合いの病院を開けてもらって点滴を打ち、東京へ戻ってきました。

今年こそは、アミノバイタルで乗り切るぞ!
SOS!時間が足りないです!!

転職を考えて週1の学校通い。
履歴書やら作文やら文章書くことが多い。
今も、今週末に提出の作文を書いているところですが、行き詰まり・・・
明日から急に1泊の出張が決まり、タイムリミットは明日出社する前までです(泣)

学生時代の今の時期も、文章書くことに混乱していましたが、働きながらとなると予想以上に大変です。
ステキな文章を生み出すゴーストライターが欲しいよぅ。

とはいっても、今の仕事に支障をきたしては言語道断ですので、がんばります!

KEIO応援団

2004年11月15日 大学野球
おっさんも一緒になって応援しよるやろ。誇りもってんねやろな。
あれが『応援』なんやろなぁ。うらやましぃわ。

昨日の佛大VS慶應
関西から佛大の応援に駆けつけたはずの師匠は、そうつぶやいていた。
3塁寄りの応援席を見ながら、仲間に入りたいと言わんばかりだった。

神宮第2球場の狭い(2階席が張出しているから余計にそう感じる)1階席で目一杯応援する慶應の応援団。
早慶戦のスタンドに比べれば淋しいものではあったが、学生と「おっさんも一緒になって」何かをするということは、そう滅多にない。

目と鼻の先の秩父宮にも対抗戦を観戦するため、ゾロゾロと人が向かっていた。
その中にもやはり、「おっさん」はいた。

母校が好きだから。
スポーツが好きだから。

いろんな人間が集まってくる。

スポーツってスゴイなぁと改めて思った。

重圧もあるやろうけど、そんな舞台でプレイできる選手も幸せやなぁ。

鳥羽トバDAY

2004年11月14日 大学野球
明治神宮野球大会
佛教大 100 000 000 | 1
慶應大 010 001 00X | 2
P(佛)古田−横地−寺元
 (慶)合田

佛大は初回、米丸良太選手の安打、盗塁の後、倉田大祐選手の適時打で先制。
対する慶應は、2回に中村太郎選手の一発で同点に。

その後は、走者を出しても返せない展開が続く。

6回ウラ、1死から早川友啓選手の打ち上げた打球を、ライトが落球?(←審判がそう判断)し、1死2塁。
横地孝之投手は、中村太郎選手を空振三振に斬り、2死2塁。
中村選手はベンチへ戻る前、次打者・岡崎祥昊選手に何か伝える。
よく見る光景ではあるが、時間的に長かった気がする。
そのアドバイスを受けてかどうかは分からないが、岡崎選手の振り抜いた打球は左中間へ。
早川選手がホームベースを踏み、慶應勝ち越し。

9回表、佛大の攻撃。
代打・力身紘平選手が空振三振で1死。
倉田大祐選手は、ショートへの内野安打で出塁。
7回ウラから出場の小森康平選手がライト前へ運び、1死1・2塁。

佛大、逆転できるか!?

続く松本善希選手の打球は、不運にもセカンドのグラブの中へ。
離塁していた倉田選手がアウトになり、併殺。
試合が終わった。

この試合、スタメンには古田大将投手(3回) 溝川峻吾選手(3回)
その後、寺元健太投手(2回)
最終回に、力身紘平選手(1回)
続々と鳥羽高OBにお目にかかれた。

鳥羽高は4年前、近畿代表として明治神宮大会に出場している。
その時のエースが古田投手、そして平野佳寿投手(京産大・3回)、阪口大介投手(朝日大エースとして今大会出場)が控えていた。
同級生でそれぞれのチームでこれだけ活躍できれば、励みになるやろうなぁ。

今後に期待します☆

帰りに・・・長島三奈さんを発見。思ったより、ちっちゃかった☆

ロト6

2004年11月11日 日常
ロト6、初めて買っちゃいました。

会社の先輩と外出した時、先輩につられて買っちゃいました。
6つの数字を選ぶの、意外と面倒くさいっ!
その面倒くささに2組であきらめた。

『黒皮の手帖』に間に合うように急いで家に帰って、ドラマが終わると鈴木杏樹が・・・
見なれたCMともミニ番組とも言えないようなその番組は、何と今日買ったロト6の抽選結果を伝えるものだった!
今まで宝くじの収益が何に使われているかに気をとられて(笑)最後の結果発表、気づかなかったぁ。

結果は惜しくも2個一致。
もう1個当たっておけば、若干の当選金をゲットできたのにぃ。
この悔しさに、ちょっぴりハマりそうな本日初体験でした。
ホントに野球界は改善されるの?

いろんなコトが、ドサクサに紛れて、ここぞとばかりに、次から次に噴出してきているように思えますが。
1つ1つとってみると、凄い問題ばかりがとりだたされているはずなのに、「慣れ」みたいなものを感じ始めている自分が怖いです。
私だけじゃなくて、世の中全体に「慣れ」や「あきらめ」がただよい始めているような気がします。

あぁ。

嬉しいメール

2004年11月8日 日常
「仕事にもだいぶ慣れたから、ご飯でも行こう」
友人からメールが来た。

ホッとした。

というのも、彼女は小学校の友人。
地元の美術系の大学を出て
「美術館で働きたい」
と言っていた。
「んな、久留米におったって美術館とか限られとるやん。
東京出ておいでよ。美術館の数を単純に考えてもチャンスは多いと思うよ」
なんて無責任なアドバイス?をしていたのだが、2ヶ月ほど前、東京で美術館の働き口を見つけて、上京してきていたのだ。

彼女の彼氏(彼も同じ小学校で、かれこれ十数年の付き合い・・・長っ!)も大学を卒業して上京、カメラマンのアシスタントをしている。
おまけに、「彼の家に住ませてもらえば?」
と言う話をしていたのだが、お互いの両親を説得して一緒に住むことになった、とも言っていた。

それが、彼女のためにもイイと思って言ったことではあるが、あまりにも私の思い描いていた通りにコトが進んでいるものだから、責任を感じ、多少心配もしていた。

そこに、冒頭のメール。
いや〜ホントに嬉しかった。
佛教大学、神戸国際大付が明治神宮大会への出場を決めたとのこと。
今日は所用でテレ朝にいたため、情報源はメールのみ。
・・・六本木ヒルズのテレ朝は、最初で最後やろうなぁ。。。
(スコアのみですが・・・)神戸国際大付はラクな試合展開のようで、佛大は終盤までヒヤヒヤして携帯を見ていました。
佛大、1つ勝てば慶應との対戦が見れる!!
しかも土曜日☆楽しみです☆☆

しかし、天気予報が・・・
外れてくれ!
スケートの季節がやってきた。
スピードスケート。フィギュアスケート。ショートトラック。
ちらちらとそんな記事を目にする季節。

大学1回の夏の終わりだっただろうか。
ひとりの女の子に出会った。
大学の喫茶店に友人が連れてきた女の子。
同級生だが、女の子という表現がピッタリの笑顔のステキな子だった。
彼女は、ショートトラックというスケートをやっていると言っていた。

学部が違い、ほとんど会うこともなかったが、その愛くるしい笑顔を見つけると、思わず手を振りながら駆け寄ってしまうほど、私は彼女の魅力にとりつかれていた。
が、次第に学内で彼女を見かける機会もなくなっていった。

大学3回の6月。
立命の試合が終わった後、神宮球場の駐車場で彼女を見つけた。
「何してんの〜!」
いつものように興奮気味に駆け寄ると
「そっちこそ、何してんの!」
そりゃそやな、京都在住の私が神宮にいるのもおかしな話だ。
「今、東京のコーチの家に住ませてもらってんねん」
彼女はそんな話をしていた。

その後、試験期間中に図書館にこもってレポートを書く彼女を見かけた。
図書館の中ではさすがに、興奮を抑えて呼吸を整えて声をかけたが(笑)
数日間でレポートをいくつも仕上げ、提出して東京へ戻るという。
がんばってんなぁ。
そんな彼女が、ますます輝いて見えた。

そして、2002年2月 ソルトレイクオリンピック。
神野由佳。
彼女は、その舞台に立っていた。
大学の体育館に貼り出された横断幕を見ても、何だか信じられなかった。
レース当日、ブラウン管の向こうで滑っている彼女を見て、不覚にも涙が止まらなくなっていた。

オリンピックが終わり、初めて会ったのは、やはり硬式の試合の球場だったと思う。
ネット裏でひとりでボケッとしていたら、彼女が走ってきた。
「オリンピック感動したぁ」
そんな月並みな言葉しか発することができなかったことを覚えている。

彼女には4回の秋、立同戦で会ったのが最後。
それからは、新聞やネットで名前を見かける程度だ。
先月のW杯、なぜか彼女の名前が見当たらない。
故障でもしたのかなぁ。
切ない恋心を募らせながら、トリノオリンピックを待っている。

まぁ、書いてみて改めて思うのだが、私キモイ!

カン違い!

2004年11月5日 日常
先月、JABA伊勢大会で倉田山球場を訪れた時。
最終バスがなくなり(10月17日の日記をご参照ください)近くのコンビニからタクシーを呼んだ。

乗ってから「今から東京に帰る」なんて話をしていると、運転手さんが
「映画の撮影だったんですか?」

え?女優さんに間違えられた??
ニヤける自分を押し殺しながら
「いや、倉田山球場で社会人の大会やってたので、見に行ったんです」
と答えた。

今朝の日刊スポーツで初めて知ったのだが、来夏公開の映画『逆境ナイン』の撮影が伊勢市でおこなわれているというではないか!
ネットで調べてみると、四日市市の霞ヶ浦球場、伊勢市の倉田山球場でロケがおこなわれていたらしい。
なんと、エキストラを大々的に募集しているのだ!

え?女優さんじゃなかったん?・・・エキストラ?
なんだ。20日間くらいイイ気分になっていた自分が恥ずかしくなった(笑)

今日もRits、サヨナラで勝利したとのこと。
あと2つ!がんばれ!

お金のお話。

2004年11月4日 日常
あめりかでは、ぶっしゅさんが再選を果たしたようですが。
大統領選で為替相場が動くかなぁと期待していたのに、まったく動く気配なし。
米ドル買い込んどいたのに。。。

ニッポンでは、お札がリニューアルしたようですが。
まだお目にかかっていない!
「コンビニでお金下ろしてんけど、ビックリしたわぁ!おもちゃのお金が出てきたかとおもた」
英世さんにお目にかかった友人は、そう言っていた。
 ・・・相変わらず、アホやなぁ(笑)
早く見てみたい!!

そんなこんなで、いよいよ明日、RITSは産大と対決です。
今日は、ありがたい週の真ん中のお休み。
連休もウレシイが、途中で休憩できる水曜日のお休みもなかなかイイ。

顔面加工人(笑)という方に写真を撮ってもらった。
11時から始まり、みっちり3時間。
今までまったく気づかなかったのだが、私の顔ゆがんでる!!
左右の口角の位置、目の大きさの違いがやたら目立った。
どちらか片側の歯で噛むクセがあるなどの理由が大きいようだが、バイオリンをやっていたのも影響しているようだ。
・・・左のあごで楽器をはさむんやから、そりゃ左側の筋肉が発達するやろなぁ。

私の場合、身体の歪みもバイオリンの遺産だ。
背骨が緩やかなカーブを描き?仰向けに寝れば左側の肋骨が「もうええって」ってくらい主張している。
免許証の写真は、左肩が異常に落ちていて気持ち悪いし。

こんな書き連ねたら、バイオリンを弾く人はいろんなところが歪んでいるように聞こえますが・・・
私の演奏時の姿勢が悪かっただけですからっ!残念っ。

多少は影響するやろうけど・・・

肩こり、頭痛、腰痛。
身体の歪みはけっこうイタイ。
顔の歪みも、ある意味イタイ。
『東北楽天ゴールデンイーグルス』決まっちゃったのねぇ。

まぁ、決まったことにあーだこーだ言っても、あれこれ邪推しても仕方ないので、
今回の再編を機に野球界の改「善」を願います。

タイトル「克己 尽力 楽天」は、私の通った高校の校訓ですが・・・
 己に克ち、力を尽くし、そして天命を待つ
そんな意味だと教えられました。

『人生は「克己 尽力 楽天 転落」の繰り返しだ』
なぁんておっしゃってた先生もいらっしゃいましたが。

くれぐれも「楽天 転落」だけは避けてほしいものです。
東北楽天ゴールデンイーグルスのメルマガ登録も済ませました。
今後の動きに期待しながら見ていきたいと思います。
早慶戦第1戦、慶應が早稲田を4−3で下し、優勝へ望みをつないだ。

本日の両校スタメンには
早稲田 1番・本田将章右翼手(1年)
     4番・武内晋一一塁手(3年)
慶應  1番・池辺啓二中堅手(4年)
     2番・堤野健太郎三塁手(4年)
     6番・岡崎祥昊捕手(2年)
智弁和歌山出身の選手が目立った。(今日に限ったことではないが・・・)

岡崎選手は4打数3安打3打点、守っても随所に光るプレーを見せる活躍。
本田選手も1番打者として第1、第2打席は安打で出塁、守ってはライト前に落ちそうな当たりをダイビングキャッチでアウトにするなどの活躍。
武内選手は四球と死球を1つずつ、8回には強烈なライト前ヒット。相変わらず振りが鋭く「あの体格でようそんな振りができるなぁ」とただ感心。

そりゃ、3〜4年前の智弁和歌山がブイブイいわせてたわけだ。
今年のセンバツ、夏の選手権大会に出場していないだけなのに、何だかずいぶん見てない気がしてくる。
先週の近畿大会1回戦で敗退し、来春のセンバツもないでしょうが、夏には高嶋監督の鋭い眼差しがキラリと光る笑顔を見たいです。

話を早慶戦に戻して・・・

「早稲田の優勝ばかりを見てきた」
そう話す4年生の最後の意地を見せてほしい!
野村監督のラストシーズンではありますが・・・
がんばれ!慶應!

今週も・・・

2004年10月30日 日常
昨日17:00発表の兵庫県南部降水確率
30日(土)70%
31日(日)60%
購入しておいた三ノ宮までの夜行バスを払戻し、高校野球の近畿大会をあきらめた。

朝起きてみると、東京は雨。
やめてよかった、と思ったのも束の間
10時半、メールが入る。

「近江−天理 1−15 4回」

ナンテコッタ!

こっちは雨で早慶戦も中止。
ぎゃ〜 今週も・・・

あぁ

2004年10月28日 スポーツ
一場投手の謝罪会見を受けて、報道ステーションで古館さんが
「中日などが獲得しようという動きがあるようだが、それでは(裏金に関して)球界は良くならない」
旨のコメントをしていた。

そのコメントの真意は分からない。
が、彼だけにその責任を負わせるのは間違っているのではないかと思う。
「そういう問題」があることは長い間まことしやかに囁かれていた。

ひとりのオーナーの突然の辞任劇によって明るみに出た「そういう問題」でひとりの大学生が責任を負わされる。
彼のとった行動が間違っていたことは明らかだと思うが、彼だけを悪者にしてほしくない。

野球に生きてきて、これからも野球に生きていきたいと思っている人間から、野球が奪われるのは見たくない。
これからも、彼が野球を続けられることを願っている。
1999年の春、芸大に落ちた。
10数年続けてきた音楽から離れた。

1999年の春、京都に出てひとり暮らしを始めた。
18年間一緒に過ごした家族とも離れた。

それまで当たり前のように私の周りにあったものがなくなった。
音楽への道だけを志していた私は、ぽっかり穴が開いたような喪失感に押しつぶされかけていた。
初めてのひとり暮らしで、淋しさと不安に押しつぶされかけていた。

そんな1999年の春、大学の新歓祭典で甲子園球児を見かけた。
彼はチケットを売っていた。
ミーハー気分で1枚のチケットを買った。

立同戦当日、友人を誘って西京極へ向かった。
一見、何の共通項も持たないような人たちが一緒になって肩を組んでメガホンを振っている。
それを統率する応援リーダーとチア。
グラウンドで優勝への望みを賭けて戦う選手。

その熱気に、不思議なくらい心のもやもやが晴れていた。
翌日、ひとりで当日券を買って西京極を訪れていた。

あの立同戦で私の大学生活は確実に変わった。
春の立同戦はただただ興奮し、秋の立同戦は「まだ終わるな」と切なくこみ上げてくる。
優勝校が決まり、消化試合になることも多くなってしまったが、4年間楽しみで仕方なかった。

2002年、最後の秋、大量にチケットを買い占めて友人に売って回った。
立同戦への感謝の気持ちと、盛り上げたいという気持ちで必死だった。

今年は春・秋ともに優勝を賭けての熱戦に盛り上がったようだ。
2年前には、大学のイベントとしての立同戦の地位が危うくなっていたようで心配したのだが、、、

今後も、熱戦とさらなる盛り上がりを期待してやまない。

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