1日の夜、祖父が再入院したとの連絡を受け、最終便で福岡へ飛ぶ。
立同戦前日の休日出勤分の代休を使い、3連休。
これで神宮は土日のみの観戦になるやろなぁ。
しかし今は、もちろん野球よりじいちゃん。

今日の最終便、出発が35分遅れる。
福岡空港に到着して、高速バス乗り場へ行くと券売機にはシャッターが下りていた。
「降りる時に払って」
と言われ、最終バスへ乗り込んだが、私ひとり。
出発までの数分、誰も乗ってこない。
まさか・・・ねぇ
と思いながらも、運転手さんと私の二人きりの高速ドライブが始まった。

「ワタクシ運転手の○○です。御用がございましたらお声がけください」
(あ、どうも・・・)

「途中、急ブレーキをかけることがございます。お気をつけください」
(はい・・・)

「次は・・・」
ピンポーン
「次、止まります」
(お願いします・・・)

マニュアル通りの台詞なのだろうが、二人っきりの空間で返事をしないのが申し訳なく思え、ひたすら心の中で返事をしていた。
私の払った1000円では、高速代にもならないのでは?などと変な心配をしながら、バスをあとにした。

採算とれてるんかなぁ、、、
今週は月曜・火曜と2日続けて会社帰りの一杯。(のめないけど・・・)
終電間近に帰宅しお風呂に入るだけの生活では、報道ステーションを、NEWS23を、すぽるとを(もうエエって・・・)見る余裕がない。

今朝、ギリギリに起きて日刊スポーツを手にすると

 『 両 手 骨 折 』

この4文字が合わさって意味をなしているとは思えないほど、それぞれが異様にデカく、寝起きの頭では理解するのに少々時間を要した。

よくよく読んでみると、ダイエー・杉内投手が2回で7点を失った後、ベンチでイスを殴って両手の第5中手骨(ドコヤネン)を骨折したということだった。
ドコヤネン?の疑問に答えるべく図解入りの記事。

真剣に音楽を志し、芸大受験のためにバイオリンを弾いていた高校生の頃、体育の授業で球技をやるのが怖かった。
卓球やバドミントンのように、指に直接重い物体が飛んでこない種目の時はホッとしたものだ。
大した才能も技術も持ち合わせていなかった私くらいのレベルの人間でさえ、そのくらい自分の商売道具(にはならなかったが・・・)には気を遣っていた。
闘志をあらわにするのが悪いとは思わないが、並々ならぬ才能を秘めた自分の商売道具は大事にしてもらいたいと思う。
よほど悔しかったんやろうけど、、、
早く復帰できることを願います。

関関戦

2004年6月1日 日常
本日会社にて。

関大出身の40にほど近い大先輩御二人をつかまえて、この質問。

「関関戦ってどっちが先ですか?」

そろって即答。

「そりゃウチやろ」

予想通りの答えに満足。
でも真相が見えず、まだ気にかかる。

ん?しつこい?

大会第4日

2004年5月31日 Rits
神宮、「正式名称・第53回全日本大学野球選手権大会」(正式名称、ひきずるなぁ。。。)の組合せが発表された。

愛する母校、立命館大学は大会第4日第2試合登場予定。
8(火)、9(水)、10(木)、11(金)
ん?平日??しかも昼間???
困った。午後休作戦に出るか?
でも、まだ時間はある。
雨も降るかもしれない。

♪よ〜く考えよう♪

さあ、あと10日間、天気予報はボクの友だち☆だ。

呼び方

2004年5月30日 Rits
今日の産龍戦、龍大が勝って明日1勝1敗、明日の第3戦に持ち込んだらしい。

どちらが神宮へ出てくるか興味のあるところだが(個人的には産大が観たいなぁ・・・)それより、この戦い「産龍戦」が正しいのか「龍産戦」が正しいのか気になって眠れない。

立命と同志社の一戦は「同立戦」が一般名称のようだが、あえて私は「立同戦」と呼ぶ。
立命の学生・卒業生なら「立同戦」の方がなじみがあるはずだ。
決戦前になると、学内のいたるところに「立同戦」のポスターが貼られる。
同じ頃、同志社のキャンパスに足を踏み入れると同じポスターが貼られているのだが、「立同戦」の部分は「同立戦」と印刷されている。
2種類作るんも大変やなぁ。。。

伝統の一戦、親分である「早慶戦」は、慶應スポーツにはしっかり「慶早戦」の文字が踊っている。
やっぱり慶應の学生・卒業生の方々は「慶早戦」と呼ぶのだろうか。
「同立戦」を「立同戦」とこだわる私が言うのもなんだが、

違和感あるなぁ。。。

こんなところで意地張ってても仕方ない気はするが、私は
 『 立・同・戦 』
と呼びつづける。
何の誓いやねん??

ところで、関関戦はどっちが先???
あぁ眠れない。

北九大優勝

2004年5月29日 大学野球
九州六大学では北九州市立大が優勝を決めたようだ。
福岡大や九国大といった私大を抑えての神宮へのキップ、
最後は福岡大、久留米大との優勝決定戦を制して掴んだ。

中田投手は、昨日も福岡大戦9イニング、45分後に久留米大戦11イニングを完投したという。
すごいパワーやなぁ。。。

公立大ということもあり、お金がない。
そこでみんなで冬の間にバイトをして1人8万円を捻出
「中田に迷惑をかけないように」シーズン前に合宿をしたという。
執念やなぁ。。。

秋季リーグ戦を観に、福岡へ行こうかと考えていたが、もうすぐ神宮で中田投手に「再会」できそうだ。

辞退

2004年5月28日 社会人野球
朝起きて、いつものように日刊スポーツを開く。

「三菱ふそう川崎 都市対抗辞退」

立ちあがりの鈍い私の頭も、さすがにばっちり目覚めた。

たぶんそうなるだろうなぁ、、、と予測できたものの現実となると淋しい。
おまけに岡崎も出場を見合わせる方向で検討とのこと。
昨年の「スリーダイヤ対決」おもしろかったんやけどなぁ。

先日発表された三菱自動車再建計画によると、
「岡崎工場は研究開発部門を除いて06年度までに車体生産を終了」
するらしい。
三菱自動車岡崎の廃部は免れないだろう。
おまけに
「本社機能を京都へ移す」
ん?三菱自動車京都、残しとったらよかったんちゃう?
単純な思考回路ですんません。

経営状態、道義上問題などなど、会社の状況に左右される選手たちを思うとやり切れないが、それが「社会人」野球の宿命なのかもしれない。
社会人野球はもちろん、企業スポーツの向かうところがとても気になる。

標準化?

2004年5月27日 Rits
携帯の着信は♪グレーター立命♪
もちろん、ちゃんと歌える。
たまに、自転車をこぎながら口ずさむ。

しかし、肝心の校歌は、、、歌えない。
♪あ〜か〜き〜ち〜し〜お〜〜〜
今も会社でこの日記を書きながら、頭の中で歌おうとしているのだが
「お〜〜〜」に入る直前にどうしても応援団の声が入ってくる。

さっき
「うちの大学の付属高って大学と校歌が一緒なんですよ」
と言ってみた。
「んなわけないだろ」
「学校名はどうするんだ?大学と高校じゃ名前違うだろ」
などと突っ込まれ、、、
「♪りっつめい♪ですよ」
と切り返すと
「すっごい標準化だなぁ」
と感心?された。

製造メーカーにとって包装材料の「標準化」は頭の痛い、大きな課題のひとつである。
すでに世に出した製品を市場から退散させる時、製品在庫はもちろん、目に見えない包装材料がどっと湧き出してくる。
多種の製品をいかに少ない種類の包装材料でまかなうか。
非常に単純な話のようで、非常に難解な問題なのだ。

「すっごい標準化だなぁ」
校歌に合理性を付与する妙にセチガライ感想が心をくすぐった。

新聞

2004年5月26日 スポーツ
昨日の興奮さめやらぬまま、今朝の日刊スポーツを開いてみる。

■立命大が完全優勝
関西学生野球リーグ最終週3日目は25日、京都・西京極球場で同大−立命大3回戦を行い、立命大が7−8で逆転サヨナラ勝ちし、勝ち点5の完全優勝で6季ぶり28度目のリーグ制覇を果たした。立命大の完全優勝は99年秋以来。

淋しい。写真とまで贅沢は言わないが、もうちょっと情報がほしい・・・
でも、仕方ないか。

JABA九州大会(後援・スポーツニッポン新聞社)開催中、実家からスポニチをFAXしてもらっていた。
デイリーの阪神記事や報知のジャイアンツ記事を読むような好奇心から、どうしても読みたかったのだ。

5.11(火)付
『九国大トリオで東京ガス8強』
先発安達7回1失点!!救援徳村6人ピシャリ!!四番菅は先制V打!!

と、さんざん東京ガスを持ち上げた翌日の東京ガスVS重工長崎

5.12(水)付
『三菱重工長崎"九州のトリデ"守れず』
この日の徳村投手の登板、菅選手の成績には全く触れていない。

一方、期間中キヨスクで購入、通勤電車の中で読んでいた(オッサンやで、、、)関東のスポニチには結果しか載ってなかった。
この極端さ、おもしろい。非常に興味深い。

ぜひ、神宮で活躍して関東のスポーツ紙をも賑わせてほしいものです。
♪グレーター立命♪

おめでとう!

2004年5月25日 Rits
昨日、9回金刃投手投入も延長11回サヨナラ負けを喫し6季ぶりの優勝はおあずけ。
日曜も書いたけど、金刃投手大丈夫だろうか・・・

今日も先発・金刃投手でくるのかなぁと心配しながら、始まってみると1回生黒田投手。
対する同志社は3連投の染田投手。
「たぶんプレーオフやね・・・」という速報メール。
仕事は終わらない。
ウズウズしながら速報メールをチラチラとチェック。

18:54 『同志社−立命 0−2』
     ヨシッ。

19:34 『同志社−立命 0−4 7回終了』
     ヨッシャ。神宮へようこそ。

20:02 『同志社−立命 6−4 9回表終了』
     はぁ〜!?

その後、速報メールは届かない。
気になる、気になる、気になる。

20:20 たまらず、仕事を切り上げ、会社を出る。

直後、携帯が鳴る。(マナーモードのため、グレーター立命は聞けず)
「サヨナラやで!!」
9回ウラの攻撃内容を聞いている間、鳥肌が立ち、足が震えた。
寒かったわけでも、歩き疲れているわけでもない。
その場にいたわけでもないのに感動した。うれしかった。
その場に居合わせられなかったことが非常にくやしかった。

執念で掴んだ6季ぶり優勝。
3年前の春、日大に敗れて以来の神宮。
2年前の春、2位に終わり落胆していた選手たち。
それまで神宮へ駒を進めるのが当たり前のように映っていた私の目に「優勝」への道のりの厳しさが焼き付けられた。

ただひとこと、言いたいのは
おめでとう!!

そして
☆☆☆ WELCOME TO 神宮 ☆☆☆

立同戦

2004年5月23日 Rits
気づけば、2週間ぶりの日記になりました。
もし定期的に読んでくれている方がいらっしゃるならば、ゴメンナサイ。

昨日休日出勤のため、夜行バスで日帰り京都遠征。立同戦 強行日程。

前日朝7時半〜20時半までの業務がこたえたのか、夜行バスに乗り、気づけば京都。
おかげで養老SAで調達する恒例みやげ「ういろう」ゲットできず。
これとBIGプッチンプリンさえあれば、宿を提供してくれる友人の機嫌は上々なのだが・・・残念。

第1試合から観戦予定だったが、気持ちは西京極。身体は友人宅。
ひと眠りしてシャワーを浴び、西京極へ第1試合の進行状況を確認、立同戦の開始時間を計算。
臨戦態勢を整え、いざ西京極へ。

西京極の駅を出ると。。。♪グレ〜タ〜立命♪
私の携帯の着信音も。。。♪グレ〜タ〜立命♪

駅から球場まで早歩きで向かい、チケットを買って、入り口でパンフ(今季初観戦)&イヤーブックを買い、スタンドへ上がる。

人が多いなぁ。率直な感想だった。
というのも、入学した時はけっこう埋まっていたスタンドも3回・4回時(2〜3年前)になると淋しくなってきていた感があったからだ。
勝ってるとお客さんも集まるってことかなぁ。

先発 立命・金刃投手 同大・染田投手
スタメンが発表され、
観たかったんだぁ。。。
と喜んだのも束の間、懐かしい人たちと盛り上がりすぎて、それどころではなかった。
金刃投手は走者を背負い、立命の攻撃は3人で切られていた序盤は比較的よく観ていたかもしれない。
しかし、金刃・金刃・金刃・・・と金刃投手が良い投手だということはよく分かるが、まだまだ先が長いので少々心配になるのは私だけなのかなぁ。
3年前、村田・村田・村田・・・というのもあったが。
関大の小川・小川・小川・・・もあったなぁ。
そんなものなのかなぁ。

話はそれたが、試合は1−0でまずは1勝☆
ずいぶんと神宮に近づいた1日でした。
☆☆☆ COME ON ☆☆☆

GW?最終日

2004年5月9日 日常
前夜から福岡県南部は雨。
独断と偏見により、今日のJABA九州大会は中止。
しかし、福岡県北部は晴れていたらしく、、、ナンデヤネン。
無事試合は終了したとのことです。
無念。

GW?戦い

2004年5月6日 日常
明日の法要に備えて、祖父と庭の池の掃除をした。
いや、祖父が庭の池の掃除をしているのを見ていた。

庭の池といっても狭い。水溜りのような池に鯉が数匹泳いでいる。
この鯉が産卵し、一面泡だらけになっていた。
祖父の指差す方を見ると、猫が捕まえた鯉を池の外に出し、卵の入った腹を食いちぎっている。
祖父はあわてて猫を追い払い、水をバケツに鯉を入れた。
バケツの中で鯉はハネている。まだ生きていたのだ。
が、次第に動きは鈍くなり、そのうち動かなくなった。
祖母がそのバケツを持ち、土の中に埋めに行った。

猫に食われる鯉を目の当たりにした。
バケツの中で弱っていく鯉を何もできずに見ていた。
生命をめぐる戦いの生々しさを感じながら、お正月に余命半年を宣告され、末期ガンながらも一生懸命生きている祖父をふと思った。
不覚にも涙が流れた。
ウワサの(?)中田投手(北九州市立大)を観に小郡球場へ。

小郡球場とは
所在地・福岡県小郡市
(小郡市は三井郡大刀洗町との合併により名称変更予定。候補・七夕市って・・・)
アクセス・西鉄大保駅より田んぼの中をひたすら歩く)
小学生の頃、こけら落としにダイエー戦が開催された記憶あり。

第3試合 久留米大 VS 北九州市立大
お目当ての中田投手、先発。
今日は調子が悪かったのか、私の目がおかしいのか、さほど良いとは思えなかった。
ということで、今後再度観てみたいと思います。
京都→福岡へ移動。
どんたく実行委員会もビックリな大雨の中、実家へ帰る。

4カ月ぶりの実家、とりあえずトイレへ入ってまたビックリ。

入った瞬間
”ピピッ”
とフタが開く。

おそるおそる目的を済まし、立ち上がると数秒後
”ピープー"
水が流れる。

すげぇなぁと思いながらフタを閉める。すると
”ピピッ”
私に反応して再びフタが開く。

「フタ閉めんでいいと〜?」
トイレから叫ぶと
「出たら閉まる!」
と母の声。

おいおい、こんな奇天烈なトイレに変えるなよ・・・
よく分からないが、トイレに負けたような悔しさが残った。

そして夜。
今度はビックリしないぞと変な余裕をかましトイレへ。

”ピピッ”
フタが開く。
もうビックリしない。
しかし・・・

フタが開くと
中の水が青白くライトアップされてる・・・!!

何じゃこりゃ、ここをライトアップする必要があるのか!?
思わぬライトアップ第3弾だった。
第2試合
NTT北海道 2−4 松下電器
関西学生リーグで大きくなった?私にとって、松下電器の継投
吉田投手(同大出)−小川投手(関大出)−清水投手(立命出)−久保投手(関大一高出)
にはヨダレが出た。

第3試合
三菱ふそう川崎 3−2 三菱重工神戸
1回ウラ・ふそうの攻撃、先頭打者から3連打で2点を先取。
試合開始は16時にほど近く、「この試合は終わるんか…?」と心配になった。
が、終わってみれば結局ふそうはこの3安打のみ。
死球・失策・暴投が絡んで4回ウラに追加した1点が勝負を決めた。
この試合、ふそうのショート渡辺選手の華麗な守備と重工神戸のサード盛田選手の声に見入って(聞き入って?)しまった。

しかし、第2試合のチーム名表示「NTT北」の後ろの微妙なスペースが非常に気になった。。。

GW?黒鷲旗

2004年5月1日 スポーツ
大学までバレーボールを続けたが、バレーとは無関係の会社に就職した友人がいた。
授業を終えて練習に明け暮れる毎日の中で、彼がよく口にしていた言葉
「バレーが好き」
だから辛くない。

卒業して1年が経とうとする頃、
「バレーが好き」
だから彼は会社を辞めた。

「もういいって思うようになるまで、もう1度バレーを続けたい」
彼は地方のバレーチームで再びバレーを始めた。

そして今回、黒鷲旗に出場するというので、私は大阪府立体育館へと向かった。
会場には大学時代の友人が数人、やはり応援に来ていた。
懐かしい顔と一緒にひとつひとつのプレイに一喜一憂しながら、こみあげるものをこらえるのに必死だった。

一度離れた場所へ戻る勇気。離れたからこそ見つけたモノがあったのだろう。
「オレにはバレーしかできることがない」
そう言って再びコートに戻った彼はキラキラしていた。

刺激を与えてくれる友人に感謝しながら、自分にはこれしかないと言えるひたむきな生き方ができる人間になりたいと改めて思った。
風邪をひいた。

月曜。会社でしんどいなぁと思いながら、帰りにパブロンを購入、のんで寝た。
火曜。朝、熱を計ると38.1℃・・・根性で会社に行き、通常通り帰宅。やっぱり熱は38℃から下がらない。寝る。
水曜。朝、熱を計ると。35.8℃☆昨日の熱は何だったんだ?
今日。一日中寝る。

完璧に復活です。明日一日終われば、9連休。
バレー黒鷲旗→JABA京都大会→九州六大学→JABA九州大会
の予定です。予定通りいければいいけどな。
寒さに耐えるなんてムチャはしないように気をつけます。
東京六大学 第3週
この1週間、勤務時間が異常に長かったためか、今日目が覚めたのは12時。
あわてて球場へと向かったが、第1試合は終わりかけていた。

第1試合 早稲田○5VS1●法政
9回表、早稲田の攻撃。
1年生本田選手の本塁打を目にし、笑みを浮かべてネット裏を後にした慶應・岡崎捕手が印象的だった。

第2試合 慶應○1VS0●明治
明治がチャンスをモノにできず、慶應・合田投手が好守に助けられ、ゼロに抑えこんだ。
この試合、とにかく寒く、5回でギブアップ。
6回はうどんを手にスタンドで観戦したが、ムリ。
7回はスタンドから下りて、喫煙場所のモニターで観戦。
これが、なかなかじれったくておもしろかった。
全体がまったく見えないのだ。
3塁ゴロになるであろう打球が消え、その後想像、3塁手がさばき、1塁へ・・・すると画面の左端からボールがすーっと出てきてまた消える。
そして、大きな歓声。
どうやら、内野安打になったようだ。
たまに視点を変えてみるのもおもしろいものだ。
8回、再び極寒の地へと向かう。
8回ウラ、1番池辺選手のセンターへ抜けるヒットで無死1塁。
犠打で1死2塁とし、先ほど後輩の本塁打に笑みを浮かべて試合へと向かった岡崎捕手。
ここぞとばかりにヒットを決め、ボールが3塁に戻ってくる間に2塁へと走るが、アウト。2死3塁。
4番早川選手が内野ゴロで8回終了。
あの本塁打に気負いすぎたんかなぁ・・・
試合終了後、笑顔・笑顔でベンチに戻ってきた岡崎捕手が、何だか微笑ましかった。
帰宅してテレビをつけると拉致された3人の方が映っている。
うらしま太郎、的な気分だった。

NYで同時多発テロが起きたとき、大学生だった私は友人たちとちょっとした行動を起こした。
ジョンレノンの『イマジン』がアメリカで自粛曲リストにあがり、世界が戦争へと向かっていく時、こんな時だからこそ『イマジン』が必要なのではないかと考えた。
そこで私なりの『イマジン』を作り、CD化し収益を寄付するという趣旨ものだった。

そのCDを取り出して、聞いてみた。

 キミにほほえまれて ボクのこころうごいたよ
 世界のみんなに そのほほえみを
 つながっている空の下で つながるこころ

 ☆キミが夢をかなえられる世界をつくっていきたい
  つまづいたら振り返って ボクがそこにいるから

 弱さを知った分 愛が分かるのだから
 強さを知った分 平和が分かる
 つながっている空の下で 伝わる気持ち

 キミが幸せを探せる世界をつくっていきたい
 道に迷ったら顔を上げて ボクがそこにいるから

 ☆repeat

 キミと歩いてくから・・・

世界の平和、なんて大きなことを考えたら、私には何が平和なのかよく理解できなかった。
が、私たちの日々の営みが、ちっちゃなことが連なって世界を変えていけると信じていた。
いろんな人に支えられて生きていることを忘れずに、
「あなたがいるから、私はがんばれる。私がいるから、あなたもがんばって。」
そう思えるちっちゃな人のつながりが果てしなく広がっていけば、世界は変わる。
世界中で個々が夢を叶えるために日々がんばることができ、幸せを探すことができる世界が平和だといえるのじゃないかなぁ。
そういう思いで、この歌を作った。

それから2年半、私たちのちっちゃなメッセージは届くはずもなく、ますます世界は理解しがたい方向へと進んでいる。
その中でどうしようもない気持ちを抑えられない人たちがイラクへと向かった。
私のちっちゃなメッセージとはワケが違う。
彼らの強い想いは、ただただスゴイと思うばかりだ。
が、退避勧告が出ている地域へと赴いた人たちに責任が無いとは言えないと思う。
甘いと言われれば、それも一理ある。
各々の抱える歴史、宗教、等々を含め、生活する環境が異なれば相手を理解するのは容易ではない。
私たちは、過去を知り、現在を冷静に見つめ、未来を築いていかなければならないと思う。

今、私にできること・・・
隣にいる人の背中をポンと押してあげることができるような、そんな日々の営みを連ねていきたい。

今ありて 未来も扉を開く
今ありて 時代も連なり始める

のだから。

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