オトコマエだぜ。城島さんっ!
2005年10月18日 スポーツ昨日の日記より
試合はもちろんですが…
試合の後、松葉杖をついた城島選手がベンチに現れ、涙する的場選手の肩に手をかけ、言葉をかけていたのに鳥肌が立ちました。
何言うてたのかは知らんけど ^_^;
こういうことだったそうです。
↓
来年こそはっ!!
ホークスファンというわけではないが、記事を読んでアツくなってしまった。
試合はもちろんですが…
試合の後、松葉杖をついた城島選手がベンチに現れ、涙する的場選手の肩に手をかけ、言葉をかけていたのに鳥肌が立ちました。
何言うてたのかは知らんけど ^_^;
こういうことだったそうです。
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城島 戦いは続く 的場に「胴上げ見ておけよ」 西日本スポーツ
決して目を背けなかった。目の前に広がるロッテナインの歓喜の輪。上半身をユニホームに着替え、松葉づえ姿の城島はベンチで泣きじゃくる的場に声を掛けた。「胴上げを見ておけよ。来年もあるんだから」。自らも屈辱の光景をしっかりと脳裏に刻んだ。出場できなかったプレーオフ。沸き上がる悔しさをナインとともにかみしめた。
9月22日のロッテ戦(千葉マリン)で自打球を当て、左足脛(けい)骨を骨折した。全治約2カ月の診断。この時点でプレーオフの出場は絶望視された。故郷の長崎県佐世保市内などでリハビリに励む日々。それでも、心はいつもナインとともにあった。プレーオフ第1戦前日の11日、ヤフードームを訪れ、的場らを励ました。「チームと一緒に戦っています」。ともにグラウンドに立てないいらだちは胸の奥にしまった。
骨折から約1カ月。上半身の筋トレは欠かさなかった。左足のギプスも約2週間ごとに交換。固定範囲を少しずつ狭めて、筋力の減少を防ぐとともに、関節部の可動域を確保するトレーニングも行う。少しでも早くユニホームに袖を通したい。そんな希望を持って自分との戦いを続けた。
「あと1死」まで追い込まれながら逆王手まで持ち込んだ仲間たちの奮闘は忘れない。試合後、ベンチでぼう然とするナイン一人ひとりに声を掛けて回った。「みんな悔しがっていた。ボクも悔しい。王監督も来年は圧倒的に勝ちたいと言っていた」。来季、米メジャー挑戦か残留か決めてはいないが、この言葉を胸に“戦場”に戻るつもりだ。絶対にあきらめない―。
来年こそはっ!!
ホークスファンというわけではないが、記事を読んでアツくなってしまった。
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