『子供』という字を使いたくない。
 『供』という字には「(親に)連れられた」というイメージがある。
 子供にも権利はあるし、ひとりの人格を持った人間として『子ども』と表現したい。

3年ほど前、そんなことを言っていた人がいた。
彼の言ったことが真実なのか分からないし、未だ調べてもいない。
ただそれを聞いて、何となく私も『子ども』と表現するようになってしまったが。。。

栃木県・小山市の兄弟行方不明事件、最悪の結果を知ることになってしまった。
大人の「いさかい」に巻き込まれてしまった『子ども』が無念でならない。

ずいぶん前にも、同じように大人の「いさかい」に巻き込まれ、生命を落とした『子ども』がいた。
東京文京区・音羽で起こった「お受験殺人」として繰り返し報道されていた。

虐待により生命を落とす『子ども』も後を絶たない。

子どもが人格を持った人間といえども「大人に連れられ」ていなければ、生きていけないのも事実だ。
その大人が自覚と責任を持つ必要があると思うのだが。

この手のニュース、なくならんかなぁ。。。
柄にもなく、ひたすら頭を悩ませ、胸をいためている。

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