『情報の氾濫した社会』
重苦しい言葉だが、羽田から家へ帰る地下鉄の中で前にいた女の子3人が話していたテーマだった。

発端は、佐世保の事件。
「私小学生のころ、鼻たれて耳鼻科通ってたよ」
なんて話から、佐世保での残酷な事件が映画・バトルロワイヤルに影響されているという話へと進んでいく。
「R指定にしててもねぇ。。。」
「情報が氾濫しすぎてるのが問題」
「もっと責任を持って(番組や映画を)作ってほしいよね」
などなど。挙句の果てには
「子ども産むのが嫌になっちゃう」
という話になっていた。
私は途中で降りたから、結論がどうなったのかは分からない。

確かにこの世の中でこれから子どもを産んで育てると考えると、ゾッとする。
私たちが小学生のころといえば、眉毛を細くするという発想さえなかった。
保健室でオキシドールを使って髪の毛を染めていた(脱脂綿で拭いていた、笑)子がいたくらいだ。

しかし、この情報の氾濫した社会をどうこう言うよりも、情報を選別する価値観を身につけるが賢明だと思うし、私はそうありたい。
それができれば苦労せぇへんのやろうけど。。。
この問題を突き詰めていくとメディアリテラシー論へと突入していきそうなので、このくらいで終わりにします。
中途半端な終わり方やなぁ。

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